2016年12月11日日曜日

前立腺がんと共に生きた父の最期

12月2日未明、最愛の父が天国へと旅立ちました。

ですので、生前、父から託された長女が
最後こちらのブログを締めくくらせていただきます。


父の最期を一言で言うなら、
最後の最期まで、家族との時間を大切に過ごしてくれました。


幸い、脳への影響が及ぶ前だったので、意識や記憶は残っていたのだと思います。


たとえ、
体が動けなくなっても、言葉を交わせなくなっても、目が開けられなくなっても、

家族や親族、お医者さんや看護士さんの呼びかけには、
力を振り絞って、声を出してくれたり、頷いてくれたり、
時には手を振ってくれたり、ピースサインをしてくれたりと、
出来る限りの反応を示し、周囲を楽しませてくれました。


以前のブログ記事で
「最期はにっこり笑ってハイチーズで」と表明していましたが、
直前まで何度も手を動かしてはいたものの、
惜しくもピースサインはできずでした。


ですが、

父の最期のたった1つの
「なるべく痛みで苦しむことなく、日々安らかに過ごしたい」という願いは、

私たちに見守られて幸せそうな父の最期の表情から、
残された遺族にとって「父に出来る限りのことは尽くせたのかな」と
少しだけ慰められました。


ただ、
父の病気との闘いや苦しみは、私たちには計り知れないものでした。


火葬場での父との無言の再会では、膝から下と、脳以外のほとんどの部分は、
癌で酷く侵されていたことを証明するかのように、変色していました。


「もう苦しみながら頑張って食事をしない」と決意しながらも、
毎夜、簡易ベットで寝泊りしていた私や家族たちを気遣ってなのか、
数日間は必死に食べ物を口に運んでいたこと。

夜、音が聞こえない、電気を消した真っ暗の部屋で、
一人きりでは眠れない程、不安や恐怖でいっぱいだったこと。

「最期は家族が側にいてほしい」
そのことを、嫁いだ娘や家族にはなかなか話せず、
一人でずっとさみしさを抱えていたこと。


日頃からとても我慢強かった父は、
苦悩や葛藤とずっと闘っていました。


病院での最期の時間を共に過ごさなければ、
情けないことに、そのことにさえ、
気付くことができなかったような気がします。


本当に最後の最期まで、強くて、面白くて、家族想いの優しい父でした。



最後になりますが、

同じような病気を体験されている患者さんやご家族のため、
また父からの想いを引き継ぐためにも、

このままこのブログを遺しますので、
必要なときに、またぜひ覗いてみてください。



そして、あなたの大切な人と、穏やかな楽しい日々を過ごせますように。



死を意識した患者さんにとっては、

私たちが当たり前にあると思い込んでいる
「明日」や「未来」の約束よりも、

たとえささいなことでも、

「今」「ここ」にある
確かな時間を共に過ごせることの方が、

何より大切で幸せなことなんだなということを
身を持って実感いたしました。


最愛の父との早すぎるお別れは、とってもさみしいですが、、
たくさんの思い出や、父が遺してくれたものを
力に変えて、家族一同共に歩んでまいります。


最後までこちらのブログにお付き合い下さり、
本当にありがとうございました。